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タイの教育現場にKOSEN(高専)、3Dプリンターで設計思想を学ぶ

5月 19, 2026

From design to creation: 3D printing in engineering education.

「満足度29%」は教育制度不在の現れだった

2018年、JICAの調査がある数字を示した。タイに進出する日系企業のうち、タイ人エンジニアに満足していると答えた企業はわずか29%。この数字は政策文書に引用され、新たな教育施策の根拠となり、ビジネスメディアでは「スキルギャップの証拠」として繰り返し報じられた。しかしこの29%という数字は、広く誤読されてきた。それはタイ人エンジニアへの評価ではない。「課題を見つけ、設計で解決策を形にし、それを具現化する」という一連のプロセスを、タイの教育制度が一度も教えてこなかったという事実の反映だ。その空白を埋めるべく2019年に設立されたキングモンクット工科大学ラカバン校附属高専(KOSEN-KMITL)の教室では今、3Dプリンター教育がタイの工業教育に新しい問いを投げかけている。

KOSENとは何か。高校でも大学でも専門学校でもない

KOSEN-KMITLを理解するには、まずKOSEN(高専)という教育機関そのものを理解する必要がある。KOSENは日本独自の高等教育機関であり、世界に類を見ないモデルだ。

日本では中学校を卒業した15歳の学生が、5年間の一貫教育を通じて大学工学部レベルの専門知識を持つエンジニアへと育つ。高校でも大学でも専門学校でもない。OECDはKOSENを「教科横断型・プロジェクトベース学習を組み合わせた独自モデル」と位置づけており、ジョージタウン大学の研究者は「米国にKOSENに相当するものは存在しない」と明言し、近い将来生まれる可能性も極めて低いと指摘している。

専門学校との違いはここに現れる。専門学校は高校卒業後に特定の職業スキルを短期間で習得させる。「既存の職業に人を合わせる」教育だ。KOSENは異なる。理論と実験・実習がカリキュラムの3〜4割を占め、学生は仮説を立ててものをつくり、検証し、また考えるというサイクルを5年間繰り返す。卒業生は「決められた作業ができる」即戦力ではなく、「決められていない問題に対処できる」エンジニアとして育つ。

よく比較されるドイツのデュアルシステムも、KOSENとは出発点が異なる。企業での実習と職業学校を組み合わせ、高度な職業スキルを持つ専門家を育てる点では優れているが、その構造は主に既存の職種カテゴリーに沿ったものだ。定義された役割の中で「実行する」ことを学ぶシステムであり、KOSENが目指す「既存の枠を超えて設計する力」とは根本的に異なる。

現在、日本国内には57校・約6万人の学生が在籍する。卒業生への平均求人数は20社に上り、約40%が大学3年次へ編入する道も開かれている。

なぜタイはKOSENを選んだのか

タイの既存の教育システムは、自分で考えて動くエンジニアを育てるように設計されていなかった。職業訓練校は現場スキルの伝達に特化し、大学は理論に偏った。問題を発見し、仮説を立て、ものをつくって検証し、また考えるというプロセスを育てる制度的な場所が、タイには存在しなかった。

この空白がJICAの調査に数字として表れた。タイ人エンジニアは工場の現場で決められた作業を着実にこなす。しかし問題が起きたとき自分で考えて対処する、設計図を読んで「なぜこうなっているか」を理解する、改善案を自分から提案するといったことが、教わったことがないためにできなかった。能力の限界ではなく、教育環境の不在だった。

背景にはタイの産業構造の変化がある。日本のThailand Plus One戦略により、労働集約型産業はカンボジア・ラオス・ミャンマー・ベトナムへと移転しつつあった。タイが生き残るには「組み立て工場」から「研究開発・高付加価値製造の拠点」へ転換するしかない。Thailand 4.0と呼ばれる国家政策がその転換を明確に打ち出したが、それを担う人材を育てる教育システムが存在しなかった。

転換点は2017年10月にある。国立高等専門学校機構の谷口功理事長がタイ国会で講演し、当時の日立製作所社長も高専出身だと紹介した瞬間、議員たちの目の色が変わったと伝えられている。タイ側が反応したのは教育論ではなかった。「高専出身者が大企業のトップに立てる」という事実だった。タイが求めていたのは指示を待つ技術者ではなく、産業を牽引できる人材だったのだ。

2018年5月、日タイ両政府は高専設立の覚書に署名した。タイ政府は授業料と寮費を全額奨学金で賄うことを決定し、2019年5月にKOSEN-KMITLが開校した。1期生24名の定員に309人が殺到した。その後志願者数は募集定員200人弱に対して5,000人超にまで膨らんでいる。意欲も潜在能力も最初からあった。足りなかったのは環境だけだった。

3Dプリンターで「設計思考」を育てる理由

ここで3Dプリンターという道具の本質に触れておく必要がある。

3Dプリンターはよく「何でもできる道具」と言われる。しかし現実には「使い手の発想がそのまま出力に反映される道具」だ。金型や切削加工は制約の中で最適解を出す工程だが、3Dプリンターは制約が少ない分、発想がなければ何も生まれない。「3Dプリンターを導入したが何に使えばよいかわからない」という企業の声が絶えないのはそのためだ。操作方法の問題ではなく、課題を見つけて設計で解決策を形にするという思考回路が育っていないことが問題の本質だ。

課題を見つける、設計で解決策を形にする、3Dプリンターで具現化する。この3ステップが一体になって初めて、3Dプリンターは意味を持つ。KOSENが育てているのはまさにこの思考回路だ。

開校初期の2020年、KOSEN-KMITLはFlashforge Creator Proを教育用として導入した。欧米の高等教育では3Dプリンターは主にFabLabやマスクスペースに置かれ、プロトタイプを素早く出力するためのツールとして活用されることが多い。ドイツにはAusbildungと呼ばれる3.5年制のデュアル職業訓練プログラムの中に「積層造形専門家」という職種が存在し、機械の操作・保守を中心に教える。いずれも3Dプリンターを「使う」ための教育だ。

KOSEN-KMITLの教室で起きていることは、それとは出発点が違う。タイ全国の学生を対象としたロケットコンテストに向けて、学生たちは3Dプリンターを使ってロケットの先端部分の形状を何度も試作した。素材の選択、形状の仮説、出力、検証、修正というサイクルを繰り返す。1年生の授業ではデジタルカメラを分解し、3Dデータと照らし合わせながら設計思想を読み解くリバースエンジニアリングが行われている。「なぜこの部品はこの形をしているのか」を逆から学ぶ。

3Dプリンターはここでは出力機器ではなく、設計思想を体得させるための媒体として機能している。失敗して、考えて、また試すというサイクルそのものが教育の核心だ。これは「3Dプリンターを買ったが使いこなせない」企業が抱える問題と表裏一体の関係にある。道具の前に、思考回路がある。

途上国における3Dプリンター教育導入の障壁を分析した2024年の学術研究は、カリキュラムの不整合、教員トレーニング不足、機器コスト、英語の壁、技術露出経験の不足を主な課題として挙げている。KOSEN-KMITLはこれらに対し、日本からの教員派遣、NITのModel Core Curriculumに基づく一貫したカリキュラム設計、タイ政府による全額奨学金という形で構造的に応えている。

設計思考を現場に着地させるPBL(課題解決型学習)

3Dプリンターで培った設計思考は、教室の外でどう機能するか。その答えがインターンシップの構造に現れている。

KOSEN-KMITLでは毎年10月、1カ月間のインターンシップに全学生が参加する。2025年度は58社が受け入れを表明し、40社とマッチングが成立した。その多くが日系企業だ。日本の短期型インターンとは異なり、企業から提示された現場課題をもとに学生が自分の研究テーマを見つけ、その後の卒業研究へと連動させていく。企業・学生・指導教員の三者でPBLを進める構図であり、インターン先がそのまま就職先になるケースも生まれている。

メカトロニクス学科ではCADやPLC(プログラマブルコントローラー)の実践教育にも力を入れており、企業側の評価は高まっている。2024年春に卒業した1期生20名は全員が進路を確定させ、日系企業への就職または日本の大学への進学を選んだ。3年次には日本の高専への1カ月研修もあり、旋盤を使った製作や企業の現場課題への取り組みを通じて、タイと日本の双方で工業技術を体得する機会が設けられている。

現在KOSEN-KMITLにはメカトロニクス、コンピューター工学、電気電子工学の3学科が揃い、2025年には新校舎もオープンした。タイには2校目のKOSEN(KOSEN-KMUTT)も2020年6月に開校しており、2校合計での学生数は拡大を続けている。

AM Insight Asia の視点

KOSEN-KMITLで起きていることは、タイ一国の教育改革にとどまらない射程を持っている。

KOSENモデルはすでにモンゴル、ベトナムへと広がっており、ウズベキスタンやアフリカ諸国からも導入の打診が届いている。「組み立てはできるが設計ができない」という製造業の構造問題は、アジアに限らず新興国が共通して直面する課題だからだ。タイの事例はその最初の実証例として機能し始めている。

一方、日本では高校卒業後の進路は専門学校で即戦力を目指すか、大学で理論を学ぶかという二択が既定路線となっている。設計する技術は専門学校で、理論は大学で、それぞれ学ぶことはできる。しかし設計思想、つまり「そもそも何が課題で、なぜこう設計するのか」を自ら定義する力を育てる場は、日本の教育の主流にはない。KOSENはその役割を担ってきたが、日本国内には57校しか存在しない。大学が約800校、専門学校が約3,000校あることと比べれば、その少なさは明白だ。

日本はKOSENを世界に輸出しながら、国内ではその価値が十分に活かされていない。タイは設計する技術も設計思想も、両方を育てる教育制度がなかった。だからこそKOSENを丸ごと導入することで、両方を同時に育てる構造を作ることができた。しかし技術はあっても設計思想が弱いという問題は、日本の製造業も無縁ではない。「3Dプリンターを買ったが何に使えばよいかわからない」という声が日本でも絶えない理由は、そこにある。

KOSENがタイで、そして世界で証明しようとしていることは、日本の製造業と教育が改めて問い直すべきことでもある。課題を見つけ、設計で解決策を形にし、3Dプリンターで具現化する。その思考回路を育てることが、製造業の次のステージへの鍵だ。