アジアのライバルに囲まれ、ルールを作る側に日本はいるのか
日本のAM業界が深刻な岐路に立たされている。ASTM認証という「グローバルパスポート」の取得で遅れを取るだけでなく、より根本的な問題が存在する。国際規格策定の場への組織的参加の欠如だ。中国、韓国、シンガポールが国を挙げて標準化戦略を推進する中、日本は危機感を抱く一部の個人レベルの活動に依存している。ルールを作る側に組織として参加できなければ、日本のAM産業に未来はない。
ASTMとは何か、なぜそれほど重要なのか
ASTM Internationalは1898年創設、12,575以上の技術標準を発行する世界最大級の標準化団体だ。150カ国以上、30,000人以上の専門家が参加している。しかしASTMが単なる「技術標準」以上の意味を持つのは、それが産業の未来を決めるルールブックだからだ。
1995年のNational Technology Transfer and Advancement Actにより、米国連邦政府はASTM等の民間標準を優先使用することが法律で義務付けられた。Boeing、Lockheed Martin、Ford、GMなど大手OEMは、サプライヤーにASTM準拠を要求する。「ASTM規格準拠」は国際取引の共通言語であり、これなしでは製造物責任訴訟で不利になり、グローバルサプライチェーンから排除される。
AM業界では2009年にASTM F42委員会が設立され、2011年にはISO/TC 261との協力協定が締結された。現在、1,000名以上の専門家が参加し、28カ国が関与する。航空宇宙、医療機器、自動車など規制産業では、ASTM/ISO規格準拠が事実上の必須条件だ。
しかしASTMの本質的重要性は、外向けの信用だけではない。それは組織内部での「安心」も提供する。
AMは既存工法(鋳造、切削、鍛造)とは根本的に異なる。層ごとに材料を積み上げるプロセスには、従来工法にはない残留応力、異方性、粉末管理などの問題がある。既存の検査基準を適用していいのか。どこまで検証すれば十分なのか。現場の技術者は手探り状態だ。
ASTM規格はAM特有のプロセスを前提とした基準を提供する。1,000名以上の専門家(材料メーカー、装置メーカー、ユーザー企業、研究機関、規制当局)が議論して作った基準。これは個人や一企業の判断ではなく、業界の集合知だ。「何を検証すべきか」「どこまでやれば十分か」という現場の不安に、明確な答えを与える。
そしてASTM規格は「プロセス認証」という革新的概念を導入した。従来の品質保証は完成品の検査だが、AM部品は内部構造が複雑で完全な検査は困難だ。そこでIQ/OQ/PQ(設置時/運転時/稼働性能適格性評価)により、最初に徹底的な検証を行い、プロセスを認証する。認証後は、同じプロセスで作れば同じ品質が得られるため、抜き取り検査で済む。検査のスピードと品質保証を両立させる方法だ。
しかし、ここで決定的な問題が生じる。「では、ASTM規格通りで本当に良いのか。」
ASTM認証のルールを作るのは誰か:会議室に誰が座っているか
ASTM F42委員会には1,000名以上のメンバーがいる。ISO/TC 261には26〜27カ国が参加している。日本も参加している。しかし参加の「質」が問題だ。
中国は2023年、BLT(Bright Laser Technologies)を通じてASTM戦略的パートナーになった。アジアで初の快挙だ。これは個人の参加ではなく、企業と国家の組織的戦略である。ASTM中国オフィスが設立され、マンダリン対応のインフラが整備された。
シンガポールはST Engineering Land Systemsが2023年にAMQ認証を早期取得し、A*STAR(政府研究機関)が標準化活動を組織的に支援している。
韓国はKATS(韓国技術標準院)が組織的に関与し、SIMTOS 2024でAM認証セミナーを開催した。ASTM InternationalのAndy Lu氏は日本、韓国、中国、シンガポール、マレーシア、タイ、インドで100回以上のトレーニングセッションを実施している。
一方、日本は。
JAMPTが2024年1月にTÜV SÜD経由でISO/ASTM 52920認証を取得し、Nikon本社でトレーニングが開催された。しかし全体としては極めて限定的だ。
経産省は装置購入補助金は潤沢だが、国際標準化活動への予算はほぼゼロ。J3DPA(日本3Dプリンティング産業技術協会)は予算・人員・権限が不足している。大学は個別に優れた研究を行うが、国際標準化への組織的関与はない。大手企業は「独自規格でいい」と考え、中小企業は「ASTMを知らない」。いや「知ろうともしない」。
ISO/TC 261やASTM F42に参加する日本人はいる。しかし組織的な支援体制は見えにくい。危機感を抱いた一部の個人が、善意と使命感で参加しているケースも少なくないだろう。所属機関からの支援が限定的であれば、個人が自腹と自分の時間を投じて年2回の海外会議に出席することになる。人事異動で担当者が変われば、活動の継続性が危うくなる。若手が参加する余裕があるかは疑問だ。情報が組織内、ましてや業界全体で十分に共有されているかも不透明だ。
これは「組織的戦略 vs 危機感を抱く一部の個人」という、極めて非対称な戦いだ。
「必要な品質」の定義権を失うリスク
ASTM規格は「用途ごとの必要な品質」を定義する。航空機エンジン部品には厳格な基準が必要だが、試作品には不要だ。しかし日本企業は、全てに最高品質を求めてしまう傾向がある。
テレビの例を考えてみよう。電子部品は5〜7年で性能劣化または陳腐化するが、日本メーカーはネジに30年持つ品質、筐体に20年持つ品質を持たせる。電子部品が壊れて買い替えても、筐体は新品同様だ。つまり、不要な品質にコストをかけていた。パソコンも同じだ。3〜5年で機能的に陳腐化するのに、10年持つ筐体を作る。
このこだわりが「メイドインジャパン神話」を生んだ。日本製は壊れない、長持ちする。これは事実であり、強みだった。しかし同時に、過剰品質によるコスト高が価格競争力を低下させた。市場が求める「必要十分な品質」を超えていたのだ。
ASTM規格策定の場では、この「必要な品質」が議論される。航空宇宙部品なら厳格に、試作品なら効率重視で。欧米企業は「データで証明できればOK」と考え、日本企業は「万が一を考えて」と安全マージンを取る。どちらが正しいわけではない。文化の違いだ。
しかし日本が参加していなければ、欧米の「データ重視、効率重視」だけで規格が作られる。日本企業から見ると「緩すぎる」基準が航空宇宙部品に適用される可能性がある。逆に、試作品にも過剰な品質を求め続け、コスト高で競争力を失う。
日本がASTM規格策定に組織的に参加すれば、航空宇宙部品では日本の厳格さを国際標準に反映させ、試作品では過剰品質を避ける基準を学べる。メリハリのある品質戦略が可能になる。
参加しなければ、全てに過剰品質を追求するか、国際標準を信用できず独自基準を維持するか。どちらにしてもガラパゴスだ。
携帯電話、液晶テレビ、半導体、クラウドコンピューティング。日本は技術で優位に立ちながら、標準化とエコシステム構築で繰り返し敗北してきた。AM業界も同じ轍を踏もうとしている。違いは、今回は「組織 vs 組織」ではなく、「組織的戦略 vs 危機感を抱く一部の個人」という、より非対称な戦いになっていることだ。
AM Insight Asia の視点
日本のAM業界は三重の危機に直面している。
第一に、ASTM認証取得の遅れによって、グローバルサプライチェーンから排除されるリスク。第二に、国際規格策定への影響力不足。そして第三に、最も深刻なのは組織的支援体制の不在と、危機感を抱く一部の個人への依存だ。
この意味で、政府・省庁・企業によるAM戦略の欠如こそが、日本の致命的な課題だ。
日本はそもそも、経営層や意思決定層がASTM認証の重要性と日本の課題を学ぶ機会を用意しているのか。AM展示会に、そうした層はほとんど現れない。現場が危機感を抱いていても、意思決定権を持つ層が動かなければ、組織的戦略は生まれない。そして日本の製造業・AMメディアは、3Dプリンターのスペックや事例紹介ばかりで、AMのエコシステムや戦略を論じる記事はほぼない。メディアの質が低すぎる。だから経営層に情報が届かない。
日本の技術者や研究者が優秀でないわけではない。むしろ、組織的支援なしに危機感だけで奮闘している姿は、ある意味で英雄的ですらある。しかし英雄主義では国際標準化戦争に勝てない。個人の善意に国の未来を託すことはできない。
中国・韓国・シンガポールのように、政府・企業・大学が連携し、継続的に人材を派遣し、予算を確保し、情報を共有し、国際標準に自国の技術と知見を反映させる。そういう体制を、今すぐ作らなければならない。
必要なのは、もはや個人の努力ではない。組織的支援体制の構築だ。
日本では、現場が自分たちの判断だけで検証を行っている。その結果、全責任を負えず、次のステップに進めない。当然だ。世界と一企業の経験値の差は圧倒的だ。時間もかかる。コストもかかる。
日本の「ものづくりへのこだわり」は、航空宇宙・医療機器など絶対に失敗できない分野では強みになる。しかしその強みを国際標準に反映させなければ、「過剰品質」「非効率」と見なされるだけだ。
ASTM規格策定に組織的に参加すれば、クリティカルな用途には日本の厳格さを反映させ、そうでない用途では過剰品質を避けられる。強みを活かし、弱みを克服する機会がそこにある。
さもなければ、日本は永遠に「ルールテイカー」の立場に留まる。技術があっても、標準化で負ければ市場を失う。危機感を抱く一部の個人の善意に依存する限り、組織的戦略を持つ国々には勝てない。そして日本のAM産業は、また「ガラパゴス」になる。
Source:
- ASTM International Additive Manufacturing Center of Excellence
- ASTM International Unveils Additive Manufacturing Quality (AMQ) Certification Program
- TÜV SÜD Japan issued AM Manufacturing Site Certification to JAMPT
- Metal Additive Manufacturing: Why standards lay the foundation for continued industry growth






